架空生命ストリキニン

小説、大衆音楽、芸術

𝑷𝑼𝑰 𝑷𝑼𝑰 モルカー

 

 

実家に帰省しているのですが、適度な運動をとったり一汁三菜ここにありといった食事を摂ったり新聞を読んだり、そういう普遍的な行為に楽しみを見出せるようになってきて、歳をとったなあと思っています。複雑な気分です。歳をとることはけして良いことではないので。

自分の内面についての文章をよく書いてしまいがちですが、それを他人が読んでも何の足しにもならないし、面白くもない。これは日記に限らずお話を書いているときにもよく起こることです。日々の思索をお話に投影するために文字を書いているのですが、生々しい感情を剥き出しにすることが内省のための一番の近道であり、その結果として「なんにも起こらないが、登場人物が何かを考えていて、思考の中で結論を出す」という形式の文章を書きがちです。これがよくない。言葉を選ばずに言うなら、かっこ悪いと思っています。現実になんにも起こっていないのに登場人物のマインドが変化して終わり、それは物語ではなく嘘です。一応そうならないように気をつけてはいるのですが。

ここ最近は二次創作ではなく普通の創作をやっています。小説を書くとどうしても周囲の反応が気になってしまい、サイトの通知欄を眺めては今日もお気に入り登録されなかったとがっかりする日々が続いています。馬鹿馬鹿しい。承認欲求のお化けに、この歳にしてまだ取り憑かれています。オバキュームをください。ルイージマンションに出てくる掃除機です。

その点、二次創作はいいものですよねえ。その点というのは訴求力や集客力という観点においてという意味です。人様のキャラクターを借りることで、自己表現をしつつ、人に見てもらうことができます。他人の褌がどうこうという議論がありますが、私は確かにそうだなと譲歩しつつ、でもどこかの判決で「二次創作による表現は、作者の表現したいものが表現されたものとしての側面と、版権元とを切り離して考えるべきだ」というのがあったなあとしみじみ思うのです。つまり、二次創作とは、版権元の表現技法を媒体として作者の意思・思索・人生観等を表現したものである。版権元に無許可で行われた二次創作であっても、オリジナリティがある部分については二次的な著作権が成立するというものです。元々は、二次創作の同人誌を無許可でインターネットに掲載していたサイトが提訴され、「版権元に対して無許可でやっているのだから勝手に掲載してもいいよね」という被告側の意見をはねつける意図での判決です。判決は常々、世の中にとって妥当な方向に下るものですので。しかしこうやって判決が下っている以上、他人の褌だから一様に価値がないと見なすことに疑問が呈される時代がやってきたということなのですね。「ベースは人の作品なんだからしゃしゃるな」という文句に対し、確かになと思いながらも、でも判決が出てるしなあと思うようになりました。

 

ソリッドな話題を持ち込んでしまってなんだか申し訳ありません。でも、くだんの「しゃしゃるのが悪か悪でないか」議論に対しては様々な意見があり、二次的著作権が認められている以上著作権よりは効力が弱いながらも著作物としての価値が認められるものとして自分は考えています。どうしてこんな話をしているかというと、まあ俗っぽい話題で。一次創作と承認欲求の話です。一次創作は立派に創作をやっている透明感があってよいものですが、まあ誰も見ないのです。二次創作は他人の著作物を好き勝手使っている後ろめたさがありながらも、多くの人の目に止まる。どっちがいいのかなあと思いながら今日という日を過ごしています。皆さんはどう思います? どうでもいいですか? うん。わかる。俺もまあ、正直どうでもいい。というか、そんな風な天秤にかけている時点で創作向いてないよな。知ったこっちゃねえな。

創作についてぐちぐち話してる人間があんまりいけすかないのです。敷衍すると、私は私のことが嫌いになってしまいますが。別に嫌いじゃないです。だって、自分のことは好きとか嫌いとか評価するような対象として見てないでしょ。だからもちろん好きでもないし、感情は"無"です。オタク!!! 創作について嬉々として話すな!!!!! 創作についての意見や主義主張を文字にして誰かに見てもらおうとしている時点で愚かですよね。創作については話さないほうがいい。というか、何の感情も抱かないほうがいい。何か感情を抱いた時点でそれはもう創作じゃないし、というか、創作について生き生きと話せるほどに手を動かしたんですか???????? 説得力なくない?????? ウワーその通りだ 許してくれ

 

 

 

𝑷𝑼𝑰 𝑷𝑼𝑰 モルカー

 

 

 

オタク!!!!! 創作するな!!!!! 他人からやれって言われてやる創作は大抵つまんないぞ!!!!!!!!!!!!!