幸福論誕生 アイデンティティ見つけた
こんにちは〜
突然ですが、夏コミもそろそろ近づいてきましたね。当日が5月で今は3月。原稿の締め切りは4月というわけですから、すなわち締め切りまであと1ヶ月もないわけです。例会中に話しましたが今回のコミケではなにかテーマを決めてそれにのっとって書こう、という方針が立っていました。果たしてそのテーマとやらが決まっていません。どうしたものかなと思うのですが、どこかの例会で決めようにも春休み中でサークル員が徳島やら山梨やらに飛んでいるために、このテーマを決める機会がないのです。このままだと、あれだけ肩肘を張った形でテーマ決めの案に決定したにもかかわらず、結局はいつも通りに「作品書いて出してね、テーマは自由だよ」という投げやりな形で会誌を出さざるを得ないわけです。多分そうなると思います。
期待しているのは一回生諸氏で、というか一回生以外に期待する対象がありません。なので是非書いてください、とここまで書いたところで気づくのです。そもそも、
- 書くメリット
- 書くメソッド
の2つが欠落していれば、書こうにも進まないですよね。
当記事は、この2項目に対する補完の意義で書き進められています。日記みたいなものです。気軽に読んでいってください。よしなに。
書くメリット
昔は以下のようなことを力説していました。
- 楽しい
- 生産者は強い
- 褒められが発生する
以下、それぞれを検証していきましょう。
1. 楽しい
これは人によりますね。
2. 生産者は強い
これはマジですね。ただ、SS書きの地位は他の創作系ユーザのそれよりも低いので、SSを書くことの効率は良くないのかもしれません。良いところは参入障壁が低いところ、参入障壁が低いわりには多くの人の目にとめてもらえるところ、参入障壁が低いわりには生産者ぶれるところでしょうか。逆にそんなに良くないところは、「バズらないこと」これに尽きます。
3. 褒められが発生する
これは人によりますね。焚きつけるためにあえてイキりますが(普段はこんなことしない)、
- いのさんに褒められる
- 有名なSS書きに褒められる
- 貴族さん(という名前の有名なSS書き)に「なんか空気感が好きだけど何が好きなのかわからん」と褒められる
- なんかファンがついて長文の感想ツイートが流れてくる
- しょーもない台本書いたときに「○○を書いた人じゃん! コメディも書けるのか」と言われる
- 森きのことかいうサイトに「☆★★★★ 何これ」というコメントがつく
最後のは違いますね。ともかく、うまくいくと上記のような褒められが発生します。これは俺のケースですが、他の人のケースが知りたければ山上一葉(@70ykP)に訊いてみてください。あいつは自分よりも文章が綺麗なので(認めたくないけど)、おそらく色々褒められを経験していると思います。
さて、褒められに関しては小説を書く動機でこそありますが、会誌にそれを載せる動機としては少し弱いような気がしています。というのも上の褒められのほとんどがインターネットにアップロードしたことによる副産物であるわけです。会誌に寄稿されたものをある程度は意識的に褒めるようにしているのですが、このあたりに関しては反省が必要ですね。もっと褒めないと。
ここまで書いたところで思うのですが、そもそもどうしてサークルで会誌を出すようになったのかについて話しておかないことには、動機も何もないんじゃないでしょうか。自分は全てを知っているから良いのですが、知らない人からすれば「何をこいつら必死になって文章書いてんの?」で済んでしまいますよね。そもそも自分がどうして必死になって原稿を書かせようとしているのか。その理由が分からないことには、色々と腑に落ちないと思います。
なので、サークルの話をします。ただしそんなに面白い話でもないので、めちゃくちゃ手短に書きますね。
どうぞ。
・2016年4月 なんか鴨川河川敷でポテトサラダを食う謎サークルの新歓でいのさんと出会う なぜかデレのSSの話でいのさんと盛り上がり、話の流れで910を設立することになる
・5月 なんかSSを書いて渋に投稿する 下手くそだったのにブクマが2桁に乗って、「なんか俺文章うまいんじゃね?」と勘違いする 当時あんきらが流行っていたため
・11月 なんか会誌1を出す
・12月ぐらい おますけ乱入!
・2017年3月 なんか会誌2を出す
以降はサークルの生起理由と無関係なので割愛します。大事なところは4月で、もっと言うと「話の流れで」あたりです。わかりますか?
要するに、例会でわちゃわちゃするために生まれたサークルではなくて、アイマスのSSの合同誌を出すために生まれたサークルなんですね。もっと言うと、大学のサークルと考えるよりも、同人サークルと捉える方が正しかったわけです。
大事なことはここからです。4年経ってるんですよね。4年の間に色々なことがあって、サークルの実態というのは移り変わっていきました。それはすなわち、決して"例会でわちゃわちゃするためのサークルじゃないんだから原稿書け!"なんてことを主張するつもりはない、ということです。明白ですね。昔は少人数でしたからある程度集団の操縦というものも可能でしたが、今は「道ですれ違ったらまあ怖い」程度の大所帯になっています。ですから過激な理想像を強要するつもりもないですし、したくないとちゃんと思っています。
それでは自分がなぜ原稿を書けというのかと言えば、大所帯になったからこそ、一通りのことしかやらない集団として小さく纏まりたくないから、というのが答えにあたります。
突然なんですが、以下の絵画を見てください。
ブリューゲルの『子供の遊戯』ですね。
この絵ってすごく素敵だなと思っていて、合計254人の子供たちが思い思いに遊んでいるだけの絵なのですが、それぞれが興じている遊戯が全て異なるのです*1。
みなさん
これになりませんか?
つまりそういうことです。今はまだせいぜい、SSを書いたり、ちょっとお絵描きできる人が絵を描いていたり、なんかDJやり始める人がぽつぽつ出てきているぐらいです。でも、色んな人間が思い思いに集まって奇特なことをやり始めれば、ブリューゲルの『子供の遊戯』みたいな、懐かしくて胸の躍るような、そんな光景になると思っています。なのでみなさん、色々なことに手を出してみてください。そして是非とも他人を巻き込んでみてください。
手始めに、小説を書いてみるのはいかがでしょうか?
書くメソッド
綺麗に着地したのでこれ以上書くことはないのですが、一応メソッドについても書いておきます。さて、巷に溢れている「○○のやり方!」みたいな記事、つまらないですよね。ああいう記事、大半が下心と自己顕示欲の権化ではないですか? 3文に一回のペースで主語が「僕は」の一文が登場しますし。
悪口はさておき、書く方法の結論を以下に記載しておきます。
- 無から有を生み出すのは難しい
- なので、白紙の原稿用紙だけを渡されて、「なんか小説書いて」と命じられたところで、一歩も前に進めるはずはない
- 無から有を生み出すのではなく、既に有るものから別の存在を生み出す努力をするべき
- 例えば、何かの小説を一冊読んでみて、文体を適度に真似つつ書き出してみる。すると、驚くほど上手くいくときがある
- 910プロで筆が立つ人はみんなその方法で書いている。一冊読んで、本が気に入ったなら書き出してみて、うまく書けないなと思ったときには本を2ページぐらい読んで、これを繰り返して小説を完結させる
- 本というのはSSなんかでもいい
どうでしょうか。書けないなと思っている人がいるとき、無から有を生み出そうと無理をしているだけの場合が多いです。よっぽどの天才でもない限り無から有を生み出すことはできません。その方向に努力をするのではなく、既に有るものから別のものを生み出す方向に努力をするべきです。自分が本を読めと口をすっぱくして言うのはこれが理由だったんですね。
参考までに、自分の過去作で踏み台にした本を挙げておきます。実際に踏み台にしまくっているという事実を伝えたいが故の列挙です。内容はどうでもいいので読み飛ばしてください。
- シンステの森久保のSS → 石田千『きなりの雲』
- 銀色交差点『カルマ』 → 同上
- 群像劇『時間を止める魔法について』 → 覚えてない 同上?
- 夏コミ『アンサー』 → これは何かを参考にした記憶がない それ故あんまりうまくいかなかった
- 紫陽花『花と心臓』 → 川上弘美?
- 紫陽花『雨傘』 → セルフタイマーの人のSS
- シンステ 『雨中遊泳』 → 覚えてねえ 伊坂?
- 夜明け色『透明のプリズム』 → 夏目漱石『こころ』
- 会誌5『ウェザーキャスト』 → 杏のSSだったと思う
- 会誌4『立入禁止』 → 何かを参考にした記憶がない あんまりうまくいかなかった
- 会誌3『ラッキーストライク』→ 伊坂? 重力ピエロメソッド
- 『終末旅行』 → これは強いて挙げるならラッドの狭心症という曲
銀色交差点のときのラジオで話したかもしれないことなのですが、書くことで大事なことは、
- 数は多くなくて構わないので、本を丁寧に読む
- 音楽を聴くこと 自分がこういう文脈でロックバンドの曲をおすすめするのは、歌詞を彼ら(彼女ら)が作っているので真実味がありがちなこと、あと文章うまい人がこぞってロックバンドの曲を聴いていることに起因します 910もそうだよね
- ひとりで考えること
なわけです。これは文章がどうのこうのに関わりなく大事なことで、だからこそ文字を書くことに努力を割くことの良さを力説するのです。例えばゲームの腕を磨いたところでゲームが上手になるだけですが(勝負事のためのメンタリティはどの場面でも活かせるかもしれないですね)、文章が上手になるための努力をする過程での経験は、まぁ、わりと無駄にならないことが保証されています。良いこと尽くめですね。小説書きませんか?
まとめ
冒頭でSSを書くメリットに「生産者は強い」というのを挙げましたが、これは間違いなく真理です。自分の意見を誰かに伝えたいと強く願ったとき、それを伝える手段と、説得力というものが必要になってきます。例えば、Twitterなんかでお気持ち表明が流れてきたときになんだか笑ってしまうのは、何かを伝えようとしているのは分かるけれども、説得力が欠けているからに他なりません。
説得力のためには強くなる必要があります。生産者は強いです。だから生産者になりましょう。絵が描ける。小説を書ける。それだけで、あの暴力的なだけの文言たちを優に凌駕する説得力を手にすることができます。本来の意味とは少しずれていますが、「ペンは剣よりも強し」という一文をここに引用しましょう。
マジで読了ありがとうございました。
𝓛𝓸𝓿𝓮……
あ、記事のタイトルはオタクを釣るためのものです
*1:どっかで話した気がする