架空生命ストリキニン

小説、大衆音楽、芸術

読み飛ばさないで!

 

 

 

 

こんにちは。文芸オタかぶれの一般人なので小説をよく読むんですが、最初の一文って大事ですよねぇ。通常の書籍はお金を払ったっていう負い目があるのでまあ初期撃力が少なくても読み進めようという気になるものですが、今はインターネットの時代です。小説は(品質のゾーニングがなされてないという制限付きで)無料で読めますし、やりたいと思えばいつでもブラウザバックできるのです。キャッチーなイントロを作るというのは時世にあった至上命題で、これができるかできないかで読者の捕獲率がかなり変わってくるように思います。当たり前!!!

キャッチーなイントロは、でまず思いつくのはやっぱり重力ピエロかな。春が二階から落ちてきた、で始まるんですが、この文、妙ですよね。まあ文芸的な文章を書く人がこういう一文で書き始めていたら、ああいつものがまた始まったよ、で済むんですが、作者は伊坂幸太郎です。大衆文芸、セルアウトの第一人者で、文芸じみた作品は滅多にも書かない作家です。そんな作家がこんなイントロで作品をおっぱじめたら、まあ首を傾げますよね。思わず読み進めてしまうわけです。それで次の文で、この文の意味が回収されます。曰く、春が二階から落ちてきたのは事実である。春というのは弟の名前で、弟がマイケルジョーダンのバットを持って二階から飛び降りてきた。読者はさらに困惑するわけです。なんで? というかマイケルジョーダンってバスケの選手だったよね???

とまあ、こんな具合で、つかみというのは大事です。漫才でもそうですね。

いいつかみとして次に思いつくのは、去年のシンステでサークルで出した本のカズラのSSかなあ。「うどん。」これだけです。これ最高だなと思っていて、今まで俺が書いたどんなSSのイントロもこの3(4?)文字には勝てないと思ってます。というか勝てません。

俺が食い物が好きというのもあるんですけど、それにしても、「うどん。」から書き始められたら、まあ読み進めますよね。なんでやねん、って思いますから。これがもし、「そのイヤホンはうどんに似ているから、うどんと呼ばれていた。」とかで始まってたら、ああそうですね、で完結してしまうし、あんまりその後の内容にも興味が惹かれないと思うんですよ。「うどん。」だからこそ、なにこれ、続きどうなってるんだ?? という気持ちにさせられるものです。お酒を飲んでるからいうんですけど、いやもう一年前なのだから今更感がすごいが、あのSSほんとうによかったしおすすめです。掛け値なしに。いいとこ10個ぐらい言える。ほんとうに? シンステといえば、今年はどうなるんだろうな。開催するのかな。のっぴきならない事情から気を揉んでいます。

話が逸れたな。そう。にんじんがぐずぐずしてるんだよね。正確には、してたんだよね。

最近料理にハマってるって話をしたじゃないですか。あれって言葉の綾みたいなもので。料理にハマってる、って聞くと、さながら研究者のごとき探究心で味を追求するイメージが浮かんでしまうものですが、俺の場合、単にセラミック包丁でキャベツを梨割りするのにハマっています。あ、梨割りってのは真っ二つに切ることです。

野菜、というかキャベツが安いのです。半玉100円。キャベツが安価になるMod入れてない?ってぐらい安くて、かつ俺はキャベツ信者です。お野菜はまあどちらかというと好きぐらいなのですが、好きな野菜を挙げろと言われれば、まず最初にキャベツがきて、そんで南瓜人参ネギ青梗菜と続く、それぐらいキャベツが好きなのです。シンギュラリティって言葉かっこいいじゃないですか。キャベツってかなり特異点だと思ってて、というのもコメに合わせられる。コメに合うお野菜って少ないので。キャベツ以外だと玉ねぎぐらいじゃないか?(ほんとうに?) 鍋には絶対にキャベツを入れないと発狂してしまうのですが、逆に白菜はあまり好きではありません。というのも、キャベツが白菜の上位互換に思えてならないからです。

これ以上語ると白菜過激派に転がされるので言わないんですが、ともかく、キャベツが安いとならば、毎日でも食べたいですよね。だからちょっとした自炊をするようになりました。といっても、鍋にキャベツを入れたり、ペペロンチーノにキャベツを入れたり、その程度です。つまりこれは自炊ではない。料理なんてぱっきりした名前がついてるものではなく、鍋を使って野菜を煮てる、それだけです。

ちょっと前に、好きなものだけ入れて煮込んだらどうなるんだろうということで、ごった煮を作ったのです。キャベツ人参ネギマッシュルームに豚肉と生姜、それをXO醬で炒めるという無名の料理です。料理をやる人なら気づくと思うんですけど、人参ってめちゃくちゃ扱いに困るんですよね。まず、陳列形態が「でかいの1本」か「細いの3本」なので、必然的に余る。しかもガチガチの根菜なので料理が難しいんですよ。やわくなるのに人参だけ時間がかかる。そのせいで炒め物の時なんか人参だけ前々から時間をかけて煮たり、別個でレンチンしたりします。人参はその存在だけで料理の手間が3倍に増えるデバフ要員です。で、人参が余ってたんですよね。今日はラーメンとハンバーガーしか食ってなかったので*1、タンパク質と野菜欲しいなって気持ちから、簡単にお鍋を作ることにしたんです。

ここでようやく冒頭を回収するんですけど、人参を買ったのは随分前のことで、そのせいで冷蔵庫に入ってた人参がぐずぐずになってたんです。腐敗というのが怖かったので、かなり余裕を持たせて切りました。あ、お鍋はおいしかったです。

 

 

山田が食に関心があるというのは皆さんご存知だと思っています。勝手に。料理が苦手というのはいろいろな理由があると思うんですが、まずガサツでいらちな性格のせいでレシピ通りに料理を作れないというのと、お金に困ってないからプロの料理人のものを食べた方が早いというのがあります。料理が下手なので今まで誰かの作ったものを味わうだけにとどまってたのです。与えられたものだけを飲み込む鯉みたいだな。でも最近料理していて気づくのは、固形物を包丁で切るのが楽しいということ。それから、瞳孔が灰色になってる深夜3時とかに、無闇に酒を飲んで倒れるよりてきぱきと料理する方が楽しいし自己成長欲求を満足させてくれるということです。自分は自己成長欲求がかなり強い方だと思っていて、これは意識他界系の兆候の一つでもあるのでよくないと思っているところなんですが、料理をするとお手軽にそれを満足することができるんですよね。

料理、いいですよね! 俺がやってるのは料理じゃない気がするけれど。精神を病みがちなので、目の前の食材と向き合うといういわば「武道」の体験が精神に安寧をもたらしてくれるのです。

精神を病むで思い出したんですけれど、たまに俺の前で「もしかすると自分は頭の病気なのかもしれない」みたいなことをのたまう人がいますが、それを俺の前で言うのか? という気持ちになります。ガチの人間の前ではお前など所詮常人にすぎないのだ。あ、そういう自認を実はちゃんと持ってるってことを伝えたかっただけです。でもまあ、そういう性質のおかげで俺はたのしい二次創作ができてるので、むしろ恵まれてるなって思ってます。周りの人、みんな俺に優しくしてくれるし。いつもありがとうね。

えっと、そうですねえ。何の話しようかな。

 

 

思いつかないのでクリープハイプの歌詞の話しますね。

知らないからって読み飛ばさないでね。お願いします。

クリープハイプ知ってますか? 尾崎世界観って聞いて分かる人は分かると思います。高い声で高い曲を歌う人です。世界観というのは芸名です。本名は尾崎祐介だそうです。普通だな。

クリープハイプは4人組のバンドです。声が高いのとキャッチーなメロディーラインに世間の注目が行きがちですが、俺がクリープハイプを聞いている以上、歌詞がいいんですよ〜。山田はメロディーとかの良さがあんまりわかんなくて、つまり音楽に対するセンスがないんですが、その分表現者が何を表現したいかばかり考えています。つまり、セルアウトの曲でなく何かを主張しているバンドが好きだし、サウンドの意図するところと歌詞の意図するところが一致していればそれを喜んで聞きます。

クリープハイプ、たまにセックスの話をしてるんですよね。まあセックスについて取り上げるバンドって多くも少なくもないんですが、クリープハイプみたいな提示のされ方をしたら、まあ文学的だなって顔つきになるもんです。つまり、行為そのものでなく、その背景にある愛の機微を歌ってるんです。クリープハイプはいつも愛について歌ってます。これはつまり、それを話題に取り上げているにしては品がないわけではないということ。俺は下品な話をしてるのではないのです。小説を読んでるとよくセックスについて語られますが、アレに対して十把一絡げに品がないなんて言わないですよね。それと同じです。

あいみょん! セックスってのが歌詞に入ってるってのでパッと思いつくアーティストのひとりです。世界観とみょんは一時期付き合ってる報道があったのですが、今はどうしてるんでしょうね。みょんは歌詞がセルアウト気味な曲が多いですが、そうでない曲も結構好きです。貴方解剖純愛歌って曲があるんですけど、あの曲がたまんないんです。洋楽にルーツを持っている感じが。そのくせちゃんとサビは用意してるんだから憎いよな。あいみょん、よくないですか?? あいみょんの登場で世間でシンガーソングライターを目指す女子が増えたみたいな報道を聞いたことがありましたが、あいみょんはマジで別格の天才です。俺にはそれがわかるのです。

話が逸れた〜。愛を歌うバンド、クリープハイプです。これどこかでぼかちゃんに話したことなんですが、彼らの歌詞の韻の踏み方がバカバカしくて大好きなんです。例を挙げますね。

死ぬまで一生愛されてると思ってたよ 信じていたのに嘘だったんだ

(中略)

うちの犬まで一緒に愛されてると思ってたよ 撫でてくれたのは嘘だったんだ

 

『愛の標識』

最高! 「死ぬまで一生」と「犬まで一緒に」で踏んでるんです。半分駄洒落に片足突っ込んでますよね。でも意味が通ってるからギリギリ許せちゃう。

オリコン7位は運が良かった

離婚しないのは運が悪かった

 

社会の窓

オリコン」と「離婚」で踏むな!

クリープハイプのメジャーデビューシングルは初登場にしてオリコンでいいところまで行ったのです。それを受けて、遠い存在になってしまったクリープハイプに対してファンが世界観に宛てた、まあ厄介な手紙を曲にしてしまったというのがこの『社会の窓』。いや、太宰治かよ。

わかんない人に解説するんですけど、太宰治は自分へのファンレターを題材に『女生徒』という題で小説を書き上げてしまったというエピソードがあります。

 

あんまりクリープハイプの歌詞の話してると幻滅されちゃうのでこれぐらいにしておきます。

あー。どこかで話したんですけど、サウンドって言語化しづらいので、曲の評価として厳密性を担保するには結局歌詞の話をするしかないんですよね。俺が歌詞の話ばっかするのはそのせいで、つまり、音を言語化するツールを持ってないんです。でもね、サウンドの話しかしてないやつは音楽鑑賞が好きなんじゃなくて、音楽を消費する人だと思ってます。思ってるけど、俺がそんな反骨心をあらわにしても説得力がないので黙ってるんです。

 芸術に対する素養って割と育ちで決まっちゃうんですよね。本当に残念なことだと思っている。芸術に対して、自分の知識を総動員して、作者の意図の理解を試みるか、それとも感じたことを感じるだけにとどまるか。後者の人は芸術そのものに向いてないとです。美術館に行きたいと思うかとか、映画を観たいと思うかとか。そういうのって、いかに正しい教育を受けてきたかに依存しますよね。こういうこと言うの何の生産性もないので普段言わないんですが。ブログなので許してください。

音楽に対してもそうだと思っていて、流れてくる音に着目するのって芸術鑑賞の正しい姿じゃないんですよね。傷ついた人がいたら本当にごめん。でも、そうなんです。正しい態度で挑めるかが育ちできまっちゃうの、理不尽だなあって思います。

音に着目するなっていってるんじゃないです。音に着目するのはよくて、そこから汲み取れる作者の意図をひたすら考えるのです。それが正しい態度だと思ってる。できてない時点でもう修正不可能って思うのよね。修正する意味、別にないんだけどね。でもね、芸術を芸術以外の側面から解釈するのって、まあ不躾な態度だとも思ってるんだぜ。

下心満載の文章書いちゃったな。ごめん。小説とか絵画とか、バンドの音楽とか映画とか漫画とか、(事実そうだが)芸術だと思ってる。売れるためのものは芸術じゃなくて手段だとも思ってる。そういうことです。あるいは、本当にあるいはなんだけど、そういう観点で作品を見てるかどうかを、自分が他人を評価するときの軸にしている節があります。俺は小説をよく読む人が好きだし、自発的に美術館に行ってる人が好きだし、バンドの歌を聞いてる人が好きだし、好きな映画を笑顔で語ってくれる人が好きだし、漫画に詳しい人が好きだ。人が、って言うと言い過ぎかな。ある人間の、そう言う側面が好きだよ。誰かの表現やその裏側に隠れてる意図、それを汲もうとして、あれがわからんこれがわからんと奔走している姿、あれは何よりも尊いと思ってるんだぜ。それが正しい姿だろ。なあ。

オタクって言葉、好きでもあって嫌いでもある。世の中には二種類いる、何かが好きで好きで仕方がない人と、オタクになるしかなかった人らしい。前者になりたいと思ってる。というか、前者と後者が混同するせいでややこしいんだよな。前者はいいもんです。後者はゴミです。排水溝に溜まってるあれと同じです。みんな、前者になろうね。そんで、こう、溢れ出るパトスみたいなやつを、文章なり他の表現なりにぶつけて欲しいんです。とにかく。俺は、そういう過程でできたそれというよりは、みんなが好き好きそうやってる世界がたまらなく愛おしいんです。誰かが好きな小説とか絵画とかバンドとか映画とか漫画とかを語ってるって、本当に幸せな世界だと思う。

ちなみに、本当にちなみになんだけど、別に誰を攻撃する意図もさらさらないんだけど、今まで描いた全ての理由から、音楽についてつらつら語ってる文章はあんまり好きじゃないとです。つまんないし、たいてい音楽のことを言語化できてないので。推されてもうまく言語化されてない以上右から左へ抜けていく。これは当然のことで、よっぽど深い音楽理論に踏み込まない限り、サウンドという脳の別の領域を使う性質を言語化なんて出来なんですよ。本質的に。で、深い音楽理論に踏み込んでる話は、音楽理論わかんないので普通に理解できない。

音楽の話、文章にしないほうがいいです。つまんないからね。しょうがないんだよな。どうしたってつまんなくなっちゃうから。俺も音楽の話書くときにつまんねーなって思いながら書いてます。だから、歌詞の話になっちゃう。歌詞の話に限定すればそれは国語の問題なので。

 

 

話がそれました! 今までつらつら書いてきたことは、お酒に酔って書いたことなので、半分ぐらい嘘かもしれません。まあでも、人間って半分ぐらい嘘つきながら生きてるらしいし。

あ、これは嘘です。

 

じゃあね。

 

 

*1:粗品「最悪の食事!」