而立
御影通りを西に行く夜、こんな孤独の中で66号線やセントエルモの火を聞いていれば自ずと自意識も過剰になるものである。
自意識が薄らいでいくのにしたがってお話を書くのが難しくなっていく感覚もある。
二次の小説を書くことは闘病で、成果物は闘病日記なのかもな。
完治と同時に俺は物書きの動機を一切失う。
一生病気でいろと?
孤独の存在を理解してしまった。
孤独を紛らわすのに文章を書く。馬鹿馬鹿しい。
ひとりでいればいるだけの時間量が過剰な自意識となって襲いかかってくる。
自意識が精神から少しずつ剥がれていっているのを感じる。
生の動機が薄い。死の動機も同様に薄い。
どっちでもいい。
5年分の遅れ。
甘美ではないが刺もない、水っぽい快楽。
もう一ミリも死にたいとか思わないし。楽になったのかもな。
自意識の断末魔が聞こえるまで間もない。気がする。
でもまあ、そこに自分はいないので。嬉しいとも悲しいともつかないな。