架空生命ストリキニン

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喩え言葉『風』

 

 

 

風に吹かれるという表現をよく目にするが、立ち止まって睨んでみると、これは奇を衒った表現だ。具体的には風がただ吹いているその光景を風目線で表現していて、いわゆるひとつの擬人法だ。このようにして、風、という言葉は喩え言葉に用いられがちだが、一方で固定的なイメージがあるわけではなく、用いられ方も様々だ。

風に吹かれるという表現に関連していえば、臆病風に吹かれるという表現がある。臆病が風に吹かれるというのではなく、臆病風という名の風に吹き晒されるという意味だ。吹くことに関していえば、「風の吹き回し」「どこ吹く風」といった表現も散見される。どちらも「風はあちこちへと吹いて回るものだ」というイメージが基盤になっている感触を覚える。

風の吹く方向はてんでばらばらで、その日の誰かの気まぐれで決まる。そんなニュアンスを含んだ風という言葉の使い方に、比喩としての「風向き」や「風の便り」、「明日は明日の風が吹く」「風来坊」などが挙げられる。逆に一方向のものは、例えば比喩としての「追い風」「向かい風」、「逆風」(世間からの)「風当り」などか。

忘れてはならないのは、風という言葉のもつ素早いイメージである。「風のように」と言えば通常は素早く移動する様を表すのだし、「疾風迅雷」「風を切る」なども分かりやすい。

慣例表現以外を繙いてみれば、風に関する比喩表現というのは相当数を数える。上述のように一口に風と言っても様々であり、それらを踏まえてどのような風を表現したいのかを明確にして書くと良さそう。例えば素早いイメージを言い表すのに、「闇を引き裂くような強風」など、スピード感溢れる言葉同士の掛け算を行う。

夏目漱石『こころ』より風に関する表現を引く。「悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹や草を震わせている最中に、突然私は一通の電報を先生から受け取った。」「私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。」

風とのコロケーションはいずれも「吹く」で、それ以外には「風のない」だとか「風のように」のみが認められた。上述のふたつの比喩はそれぞれ、(解釈に賛否両論ありそうだが)前者が「ある地点から別のある地点へ伝わるさま」、後者が「すばやく」という用いられ方をしている。前者に近い用いられ方をしている慣用表現は少ないが、「風が吹いている」といったときに何かが変わりゆこうとしている雰囲気を感じ取っているということを意味するのと似ているのかもしれない。このあたりはもう少し掘り下げ甲斐がありそうだ。