架空生命ストリキニン

小説、大衆音楽、芸術

東京現代美術館について

 

 

記事として何かを発信する以上、内省とか日記的なものよりは、事実に基づいたものを書きたいと思うのです。なぜなら、私の言葉には価値がないと思うので。と書きましたが、つまりたとえば、病んでる人を見てもあまり楽しくないですよねえ。病むことにかけては右に出る者がいないという自負がありますが、同時に病んでいる様子を他人に見せることで何か安全な世界に身をおきたいという深層心理的欲求を満たしてきたようにも思うのです。つまり逃避です。予防線、弥縫策、あてがう言葉は何でもよく、ただ結果として醜悪な自分がそこにいる。そういう人間です。

自分の話ばかりしても仕方がないですね。話をしましょうか。

 

少し前に東京に行っていて、何のためにと言われると、美術館に行きました。美術といっても私は日本画にすこぶる興味がなく、逆に西洋画からの流れを汲む芸術が好きです。これは芸術に触れる前に知っていた様々な断片的知識がひとつの流れとしてつながったことへの一種の法悦に起因します。少し前までは西洋画にお熱だったのですが、今はやっぱり現代美術です。というわけなので、東京現代美術館に行きました。

企画展のほうを見に行ったのですが、常設展があまりに豪華でびっくりしました。びっくりしたとしか表現できないぐらい驚いた。メンバーがね。かの有名なウォーホルのマリリンモンロー、クラインの青、ツァイ・グオチャンの爆薬アート、ゲルハルト・リヒターラウシェンバーグ……。極め付けには、本で散々読んだ、リキテンスタインの『ヘアリボンの少女』!

美術へのエクスタシー、それは断片と断片とが繋がる瞬間に稲妻のように走るものだと思うのです。どうしてヤン・ファン・エイクが称賛されたか。どうしてモナリザが名画なのか。どうしてベラスケスが画家の中の画家なのか。どうしてフェルメールといえば『真珠の首飾りの少女』なのか。それらの理由が絵画という固形物となって目の前に現れること、断片的だった情報が接続される瞬間の法悦、これこそが芸術を食する本質だと思います。

というわけで、みなさん、東京都現代美術館に行きましょう。清澄白河が最寄駅です。

ところで、表記は「東京都現代美術館」であってるんですかね?間違ってたらすみません。

 

 

 

ブルーピリオド10巻は5月21日らしいです。美術の入り口としてちょうどいい漫画ですよね。少しでも美術に興味のある人はRPGみたく私に話しかけてください。無限に話ができます。