架空生命ストリキニン

小説、大衆音楽、芸術

テオ・ヤンセン展

 

行ってきたので、簡潔にまとめます。

 

- アートと聞くと鑑賞者に鑑賞者としての態度を要求する作品をイメージしがちなものだが、思うにストランドビーストはその真逆である。オランダの海抜が低すぎるために国土が消滅の危機に瀕し続けているという問題の解決として、生命体に防波堤を作らせるというアイデアが端緒になっている。アイデア自体の独創性はさておき問題設定自体は非常に平凡なものである(荒唐無稽とも言えるアイデアを形にしてしまうバイタリティに圧倒されたことを記憶している)。具体的な設定に具体的な解決法を探るアプローチは相当にコンクリートで、それゆえに鑑賞者は必然的に「これはアートなのか? それともデザインなのか?」という疑問に付き纏われることになる。

それぞれを支持する根拠が展示内容に記載されているのは抜け目がない。アートの自由性(定義不可能性)、アウラの場所性はストランドビーストを現代アートの檻の中に飼い慣らす主張の一例であると思う。興味深いのは、ヤンセンが大学から離れ、画家として活動し始めたという経歴を持っていることである。ヤンセン展はストランドビーストを身体的に体感できる空間として開かれているが、ヤンセンの所謂生き様をストランドビーストを通じて視覚的に理解する場、あるいは抽象的な「アートとデザインの差はどこにあるのか?」という問題を今一度見つめ直す場としても機能するように設計されているのではないか?

- ヤンセンのバイタリティについての補足。彼は問題の解決策の奇怪性を無視して(あるいは簡単に乗り越えてしまって)、生命体を次々とデザインしてゆく。機能の進歩に生命の進化のアナロジーを付与し、まるで神様のように振る舞うのは創作と似ている。あるいは、物語を創ることそのものであると言うこともできる。突然変異的なのは、彼がその空想を現実へと還元してしまった点である。彼は脚本を書き劇を演じさせたのではなく、劇中の出来事を実際に行動に起こしてしまった。この特異性こそが、ストランドビーストを目にしたときに抱く言いようのない浮遊感の正体であると考えた。是非はさておき、頭の中に留めておくべき事実であるかもしれない。

 

 

概ねこんなことを考えていたと思います。