架空生命ストリキニン

小説、大衆音楽、芸術

お酒飲んだ

これお酒に酔ってるから言うんですけど、音楽好きを自称する人間って大体蓄積がないから説得力が皆無ですよね。音楽たくさん聴いてそれで音楽通自称できるならそんな簡単なことはないですよ。というか音がどうこうってプリミティブなフェーズで音楽を語るのって、それはもう音楽好きでもなんでもなく単に音が好きなだけじゃないんです?

音と音楽は違いますよ。前者は鼓膜を介して信号へと変換される言うなれば波形の表出で、後者は文化です。文化というのは"そのもの"ではなく対象同士の関係性によって浮き彫りにされる価値です。こう書くと難しく聞こえるかもしれませんが、例えば「この楽曲はこれを受けて作られた」みたいなバックグラウンドから、受け取り手が違った観点から対象への価値を見出すことがあるでしょう。文化、ないし音楽とはそういう営為によって構築・破壊・再構築され続けてここにあるものですよね(これを否定されたらもうおしまいですがね)。

音楽に対してみなさん不勉強すぎません? 音楽に対してというか、文化全般に対して。音楽は(消費される前提で作られたものでなければ)一種の芸術として解釈されるべきで、それなのに芸術としてではなく例えば食べ物のように「削られて消費されるもの」として解釈されることが一般化している現代に一種の馬鹿馬鹿しさを感じます。聞くだけでいいわけないでしょ。聞くことそのものなんて誰でもできます。極論、赤ちゃんとか犬とかでも音楽を聞くことはできるんだし。聞くことじゃなく、知能を総動員して鑑賞することが大事なんじゃないです? それなのに背景や背景を理解するための学習をせずに音楽を浪費している。いや、その態度自体は別に間違っていません。音楽とは一部の人間にとって消費されるものとして受け取られてしまっています。けれど、それで音楽通自称するのやめてもらっていいですか? もう一度言いますけど、ただたくさん聞いてるってだけで音楽好きとか片腹痛いし気持ち悪いです。自称しなきゃいいじゃないですか。いち消費者としての自覚を持ってください。あと、自称せずともそのアクションを起こしていないだけでも、それは音楽と真摯に向き合っていないのと同じですからね。蟻の巣を興味深そうに覗いて、最終的に水を注いで反応を楽しんでいる子供、私にはあれと同じに見えます。比喩とかではなく、態度としての稚拙さです。

別に誰が、とかではないです。誰のことを想像しての文章でもありません。ただ不意に虫酸が走った、それだけです。

 

上の文章にも説得力がねえな。ないなら言わなきゃいいんですけど、まあそんな夜もある。まあとにかく、俺の地雷はこんなところにある。これを読んだ人、不快な思いさせてすまん。許してくれ、そんで触れないでくれ。